義理や人情を大切にするのはアジア人の特徴である。そんなお話。
人から親切にされた時に、その親切さに気づける人間でありたいし、その受けた親切をいつか返したいと思える人間でもありたい。
人から親切にされる度に、そう思う。
親切心を受け取れるアジア人
今、アルゼンチンのブエノスアイレスに来てるけど、ある日、友達のルイスが、タバコをたくさんプレゼントとして持ってきたんだよね。
いやー、そんな、たくさん吸いたくないし!笑
って最初は思ったんだけど
でも、せっかくくれた親切心を受け取らないことって、できなくない?w
だから、もらったんだよね。
何が言いたいって、タバコの話じゃなくて、ルイスという男は、そういう奴なんだ。
ヒッピーと呼ばれているタイプの人間で、いつも穏やかで優しいやつだ。お金がなくてもピザをおごってくれたりする奴なんだ。
そう。ものすげーいいやつ!なんだ。
もってきた、そのタバコだって、きっと買ったら5000円分以上すると思うんだよね。誰かに売ろうとすれば、売れたはず。お金がないくせに、
無理しやがって
って感じなんだ。
それだけの親切をしてくれて、なんて言ったらいいのか、お礼の言葉にすごく困るくらい心にグッときたんだよね。
彼とはメキシコのイスラ・ムヘーレス以来の、友達なんだ。
英語圏に何年もいると、「YES」「NO」ハッキリ言えちゃうようになるんだよね。だから、ついつい「NO」って言いそうになっちゃったよ。
でも、なんとか、ルイスの親切心に気づけたから素直に受け取れたけど、気づいていなければノーと言っていたはず。
でもこうやって、相手の親切心に気づいて、いらないものでも受け取ることができたのって、アジアで生まれて育ったからだと思うんだよね。
中東のイエメン人が教えてくれたことは、
「イエメンでは誰かの家に招いてもらって、そこで、もし食事を断ったり、出されたものを食べずに残してしまうのは失礼な事」
だった。
「相手の親切心に気づいてやりなさい」という教えで、こういった習慣が、アジアには多く残ってる。
イエメンでは料理という形で用意してくれた親切心を受け取るためには、食べたくないものであっても「もらう」んだよね。
イエメンもそうだけど、アラブ圏では、家に招かれたらまず、お茶(チャイ)を出されて、飲みたくなくても飲むのが礼儀。これ、断ったら、けっこう気まずいと思うよ。
でも、うちら日本人も同じような習慣あるなって思った。
バレンタインデーで、義理チョコにしろ、本命チョコにしろ、受け取らない日本人っていないよね。いらなくても、受け取るよね。
そう、アジア人って「相手の情を受け取ること」を大切にしているんだよね。
アジア人は相手の気持ちに気づいて、それを受け取ってくれる人間が多いと思う。ヨーロッパの人は、いらないものは「ノー」と言って断るしね。おれも断ること多いけど、やっぱ、それが相手の善意だったら、もうらうべきだとルイスの件で、そう思った。
いつか恩を返したいって思えるアジア人
日本人は、たとえば、なにかプレゼントをもらった時、「お返しに」なにかする事って、多いよね。食事とかチョコとかご祝儀とか、数えたらキリがないくらい多いよね。それって「義理」や「人情」からくる行動でしょ。
おれだって、ルイスから受けた親切をいつか返したいと思ってるもん。そう思えるのも、アジアで生まれ育った環境が深く影響していると思うんだよね。
オーストラリアのバイロンベイにはトルコ人のメメットというレジェンドがいる。彼もまた別格だった。以前おれにタバコをくれたんだけど、それが何度も何度もくれたから、さすがに悪いなと思って、いつだったかタバコを1箱買って、お返ししたんだ。その時、メメットは
「君みたいな人のことを、トルコ語で〇△◇って言うんだよ。〇△◇ってのは義理深い人って意味だよ。」
って言ってた。〇△◇って、なんだったか、忘れちゃったけど、このエピソードの肝心なところは、そこじゃなくて
「トルコ語にそういう言葉があって、それをトルコ人が実際に褒め言葉として相手に伝える」ってことは、「義理」をトルコ人は素晴らしいものとして考えていたり、大切にしている価値観のひとつであるはず。そう推理できるでしょ。トルコもそうなんだね。ギリだけどね、ギリアジア。
アジアには、ヨーロッパやラテンアメリカにはない良さがあって、「義理」や「人情」を大切にして、受けた「恩」を返したいと思うことのできる人が多いこと。それがアジアの良さだと思う。アジア人の、そういうところがすごく好き。
そして、自分自身も、そんなアジア人でありたいと思う。相手の親切心に気づけて、その親切心を素直に受け取れて、その恩をいつか返す人間でありたいと思う。アジア人で良かったと思うし、そんなアジアはおれの誇り。
おしまい。